「監視」と「教育」 ~ 『モウリーニョの流儀』 ~より [サッカーと教育]
「必要なのは監視することではなく教育することだ。これは親子関係でも同じことだ。私は誰も監視などしない。選手達の性格とパーソナリティを理解し、それに適した関係を築くというのは、我々現代の監督にとっては仕事の重要な一部をなしている。」
モウリーニョがインテルの監督を務めていた当時、怪物や問題児とされたアドリアーノに対して、モウリーニョは規律違反にはきちんとペナルティーを科しつつ、家に電話をかけたりするなどして互いの関係を良好なものにしていった。
チームの結果のために、規律を重んじ、違反した場合は主力であってもペナルティーを科す。その反面、どの選手に対しても相手を理解しようと努め、フェアに接する。その公平さがモウリーニョの指導者としての信頼を集める一因である。
コメントの中で、モウリーニョは「監視」と「教育」とを明確に区別している。
逆に言えば、
「教育」とは「監視」ではない。
教育者やコーチなど、人を導く仕事をする人たちにとって
その二つの違いを忘れてはならない。
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