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【投票率の低さについて [今日の雑感]


 教育に携わる人間として、投票率の低さには責任の一端を感じています。

 一般的な高校では、理不尽なことに抗う気持ちを徹底的にくじきます。どんなくだらない校則でも、学校の統治下においては、生徒たちが自らの権利を主張して校則を変更していくことは困難です。議会的な形をとっている生徒総会も、参加してる生徒たちですら「これってなに?」って感じで、よくわからないまま形だけで進んでいきます。

 学校というシステムを運用していくために民主主義は不都合です。同じように国もシステマチックに運営していくためには、民主主義は不都合です。

 そのために、多感な時期に教育の中で民主主義の考え方を徹底的にそぎ落とし、無力感を植え付け、組織の統治下におきやすい人間を生産することが高等教育の役割の一つじゃないかと思えてきます。

 そう考えると、投票率の低さも腑に落ちます。

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『発達障害は治りますか?』(神田橋 條治) [発達障がい]

タイトルが「発達障害は治りますか?」と、かなり強い感じがしたのですが、
今の状態は改善できますよ。というくらいの柔らかな雰囲気の座談会の記録です。



精神科医である神田橋先生が
薬だけに頼らず、カラダ(整体?)のアプローチから、治療に当たっているのが
不思議でありつつも、納得できます。


神田橋先生の言葉には腑に落ちることものがたくさんありました。
くだらないことをしないとだめな人になる。脳の発達にはくだらないことが大事。勉強だけではピンポイントにしか電流が流れない

晩成とか、大器晩成と言われているものは全部、発達障害の発達像なんだと。僕はそう確信している。

まっすぐな人生はとんでもなく間違うことがあるけれど、曲がりくねった道はおおよそ正しい。



脳とカラダの関係、カラダと心の関係、体と言葉の関係について
これからもっと勉強したいと思うきっかけになりました。




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上田紀行『生きる意味』より [本から]

自分の考えていたことが、そのまま文章になっている感じです。
非常に共感できます。

 自然の生態系のように、様々な植物種がひとところに共存していれば、日当たりや湿度などの環境が変わったり、病害虫が発生してある植物が失われても森は失われない。しかし、商品としての木材を効率的に生産するために、ある植物種のみを人工的に植林し、他の植物を排除してしまえば、何の問題もないときには高収量だが、環境の変化や病虫害が起これば、ひとたまりもなく全滅し、森は失われてしまう。単一品種の森のほうが一見整っていて美しいが、それはとてつもなく弱い構造を持っているのである。  多感な時期の若者を学校の成績のみに縛りつけ、それ以外のことを抑圧すれば、森と同じことが起こる。


人物多様性の社会作り、これから一部の人たちは同じことに気づいていくと思います。




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『有機的建築』から『有機的教育』へ [本から]

建築家フランク・ロイド・ライトの『有機的建築』とても面白かったです。

建築のことよりも、彼の建築哲学が書かれてありました。
戦前の話なのに全く古くなっていない、普遍の建築哲学です。

フランク・ロイド・ライトの哲学は岡倉天心や老子など、東洋の思想とつながっています。
自然を支配するのではなく、自然をリスペクトしつつ建築を行った偉大な西洋の建築家ともいえます。


彼のコンセプトを、訳者(三輪直美さん)のあとがきから引用すると、
一.有機的建築は、風土や敷地環境から生じてくる。 二.有機的建築は、完一性、緊密な統一感、全体性を有している。 三.有機的建築は、外から当てはめたり応用されたりするものでなくそのものの内部から生成してくるもの、内発的なものである。 四.有機的建築は、変化を受け入れ、成長していく


このコンセプトこそ、今の教育に必要じゃないのかと思えます。
「建築」の部分を「教育」に変えるだけで、今まで自分が探してきた言葉たちが見つかった気持ちになりました。

一.有機的教育は、風土や敷地環境から生じてくる。
二.有機的教育は、完一性、緊密な統一感、全体性を有している。
三.有機的教育は、外から当てはめたり応用されたりするものでなくそのものの内部から生成してくるもの、内発的なものである。
四.有機的教育は、変化を受け入れ、成長していく


有機的教育(organic education) と 自然な学校 (natural school)

この二つの言葉は、これからの自分の教育哲学になりそうな気がします。




「建築とは生きることそのもの」(フランク・ロイド・ライト)



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成長痛 [今日の雑感]

息子が「足が痛い」と膝を抱えている。

急激な成長は、時に痛みを伴うものです。

そして

心が猛烈に成長する時期のことを、

私たちは思春期と呼んでいるのかもしれません。
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人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。(老子) [本から]

人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。(老子「戒強七十六」)  ここは「生命力にあふれた赤ん坊は柔軟性に富んでいる。死に近づけば近づくほど、人はかたくなる」というような意味です。まだ若いのに頭がかたいというのは、頭が死んでいると考えてもいいでしょう。(田口佳史『老子の無言』)



自分の経験上、人間的に素晴らしいなと思う人ほど、謙虚であるように思えます。


「しっかりしている」とされる人ほど、自分の価値観や世界観からなかなか離れることができません。
そして「しっかりしている」の先には、かならず「頑固」が存在します。
固いということは、そこで固定することになります。
もし固定するところを間違ってしまえば、後からの修正は苦労をします。


逆に、柔らかくあることは伸びしろをもたらすことでもあります。
現状に対して常に修正や成長の余地があることになります。
固定しない分、成長の可能性は無限大です。


年齢や自信、実績を積み重ねながら、尚且つ柔軟であり続ける。


この簡単なようで難しい状態の自分を維持していくための上手い方法が
何事に対しても謙虚であり続けることなのだと思いました。






田口佳史
光文社
発売日:2011-01-20


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人を思い通りにするため方法 [ コミュニケーション能力]

言うことを手っ取り早く聞かせるためには
「ご褒美をあげる」か、「脅迫する」かのどちらかが最も簡単で効果的な手段になるでしょう。

その上、この二つの方法は指導者の力量を問わずお手軽です。


そういう意味で「教育」と「脅迫」は紙一重の場所にあります


「このままじゃ、社会に出て困るよ。」
「今のままでは学校辞めないといけなくなるよ。」
「それじゃ将来、だめになるよ。」


それらの言葉は、心配というオブラートにくるんだ脅迫です。
その心配ごとは、生徒や子ども自身の心配ではなく、周りの勝手な心配に過ぎません。


そして実は、

教師や親、指導者自身が、周りの目や自分自身の評価に「脅迫」されていたりします。
その強迫観念からの不安から口にしてしまう言葉だったりします。

脅迫におびえる人ほど、それら言葉の持つ威力を知っています。


では、指導者としてどうすれば脅迫せずに導いたり、変化させたりできるのでしょうか。

そこに指導者としての力量がでるのだと思います。
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「監視」と「教育」 ~ 『モウリーニョの流儀』 ~より [サッカーと教育]

「必要なのは監視することではなく教育することだ。これは親子関係でも同じことだ。私は誰も監視などしない。選手達の性格とパーソナリティを理解し、それに適した関係を築くというのは、我々現代の監督にとっては仕事の重要な一部をなしている。」


モウリーニョがインテルの監督を務めていた当時、怪物や問題児とされたアドリアーノに対して、モウリーニョは規律違反にはきちんとペナルティーを科しつつ、家に電話をかけたりするなどして互いの関係を良好なものにしていった。

チームの結果のために、規律を重んじ、違反した場合は主力であってもペナルティーを科す。その反面、どの選手に対しても相手を理解しようと努め、フェアに接する。その公平さがモウリーニョの指導者としての信頼を集める一因である。


コメントの中で、モウリーニョは「監視」と「教育」とを明確に区別している。



逆に言えば、

「教育」とは「監視」ではない。


教育者やコーチなど、人を導く仕事をする人たちにとって
その二つの違いを忘れてはならない。


片野道郎
河出書房新社
発売日:2009-09-03


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『ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない』 [本から]

人間それぞれで【できること・できないこと】が違います。

「そんなこと、あたりまえじゃん」と頭では思っていても、実際に理解してあげることは、簡単ではありません。



「泳げない」「英語が話せない」「そばが食べられない」「絵を上手くかけない」などは比較的、周囲の人たちに許さる『できないこと』です。


「自転車に乗れない」「甘いものが苦手」「エビやカニが苦手」「お酒が飲めない」などは、ちょっと信じてもらえなかったり、飲み会でちょっと場を気まずくしたりします。それでもなんとか許容してもらえる範囲です。


けれど、「字がかけない」「思ったことを言葉にするのが苦手」「目を見て話すのが苦手」「音が苦手」「多人数が苦手」「じっとしておくのが苦手」などは、なかなか許してもらえません。

特に学校など、皆が同じことをしなければならない時などは、なかなか許してはもらえません。



本人にとって『できないこと』も、それを当たり前にできる人にとっては、「なぜできないのか?」を理解する前に、「こいつは言われたことをやらない」という不快感を覚え、不快な感情は怒りとなり、できない人に「なぜ、できないの!!」と責めることで、人間関係を悪化させたりしてしまいます。


今回の本は、そんな『できないこと』で困っている人の気持ちをよく表した優れたタイトルです。内容も、発達障害の子の理解の仕方、支援の仕方などが事例を通じて具体的に書いてあります。



発達障害に詳しくない人でも充分に理解しやすい本です。

まずはタイトルの『ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない』の言葉を心のどこかに留めておくだけでも、よりよい人間関係の構築ができるんじゃないかと思います。





ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない―発達障害(LD、ADHD、アスペルガー症候群)の読み書き困難
ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない―発達障害(LD、ADHD、アスペルガー症候群)の読み書き困難
タグ:発達障害
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選手にミスをする権利を与えてほしい [サッカーと教育]

今月のサッカークリニックは指導者の失敗の特集。おもしろかった。

中でもサンフレッチェユースの森山監督が、トップチームのペトロビッチ監督に言われた言葉が印象的だった。

「選手にミスをする権利を与えてほしい」

その言葉を受けて、「ミスさせないのがミスなのかな」と自身の指導法をふりかえることができる森山監督もすばらしいと思う。


サッカーに限らず、教える側の人間は、ミスをさせないことが指導者の役割だと思っっている。また、対外的な場になればなるほど、ミスをさせることは指導者自身の評価につながるのではないかと恐れたりもしている。


本人のためにミスをすることも考慮して大きく育てる。

これは簡単にできそうで、なかなか難しいことだ。



器の大きな人間が、器の大きな人間を育てることができるのだろう。



Soccer clinic (サッカークリニック) 2012年 02月号 [雑誌]
Soccer clinic (サッカークリニック) 2012年 02月号 [雑誌]
タグ:サッカー
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