『発達障害は治りますか?』(神田橋 條治) [発達障がい]
タイトルが「発達障害は治りますか?」と、かなり強い感じがしたのですが、
今の状態は改善できますよ。というくらいの柔らかな雰囲気の座談会の記録です。
精神科医である神田橋先生が
薬だけに頼らず、カラダ(整体?)のアプローチから、治療に当たっているのが
不思議でありつつも、納得できます。
神田橋先生の言葉には腑に落ちることものがたくさんありました。
脳とカラダの関係、カラダと心の関係、体と言葉の関係について
これからもっと勉強したいと思うきっかけになりました。
今の状態は改善できますよ。というくらいの柔らかな雰囲気の座談会の記録です。
精神科医である神田橋先生が
薬だけに頼らず、カラダ(整体?)のアプローチから、治療に当たっているのが
不思議でありつつも、納得できます。
神田橋先生の言葉には腑に落ちることものがたくさんありました。
くだらないことをしないとだめな人になる。脳の発達にはくだらないことが大事。勉強だけではピンポイントにしか電流が流れない
晩成とか、大器晩成と言われているものは全部、発達障害の発達像なんだと。僕はそう確信している。
まっすぐな人生はとんでもなく間違うことがあるけれど、曲がりくねった道はおおよそ正しい。
脳とカラダの関係、カラダと心の関係、体と言葉の関係について
これからもっと勉強したいと思うきっかけになりました。
発達障がいと山崎まさよしの『セロリ』 [発達障がい]
発達障害とされる人たちに出会って、僕は人を見る目が広がりました。
自分の考えること、自分の常識なんてちっぽけなものだと思い知りました。
自分の見える世界でさえも違うように見える人たちがいることを知りました。
例えば、とろろを食べられない自分には、とろろご飯の美味しさはわかりません。
とろろの美味しさをどんなに熱く語られても、僕は食べられないのです。
そこには努力するとかしないとか、あまり意味はありません。
とろろみたいなメジャーじゃない食べ物の好き嫌いは許されても、
読み書きの好き嫌いなんかはなかなか許してもらえません。
ずっと座っておくことが苦手な人や、
思考を言葉に変換するのが苦手な人もなかなか理解されません。
教師が「できる・できない」を自分の基準だけで判断し、
さらにできないことを許さない空気感を作ることで、
できない人をどんどん追い込んでしまいます。
じゃあ、教師として発達障害とされる人たちとどう関わるか?
僕の場合は山崎まさよしの「セロリ」風に考えてみるようになって、
かなり気が楽になりました。
夏がダメだったり、セロリが好きだったりするけど、、、、
がんばってみるよ。やれるだけがんばってみてよ。
少しだけなんだかんだ言っても、つまりは単純に君のことを好きなのか?
できないことがたくさんあっても、愛される人はたくさんいます。
その人は、周りから愛されることによって幸せになっているのだから、
僕は周りの人間の一員として、頭ごなしに嫌いにならないことが、
今、自分ができる一番確実なことだと思うようになりました。
自分の考えること、自分の常識なんてちっぽけなものだと思い知りました。
自分の見える世界でさえも違うように見える人たちがいることを知りました。
例えば、とろろを食べられない自分には、とろろご飯の美味しさはわかりません。
とろろの美味しさをどんなに熱く語られても、僕は食べられないのです。
そこには努力するとかしないとか、あまり意味はありません。
とろろみたいなメジャーじゃない食べ物の好き嫌いは許されても、
読み書きの好き嫌いなんかはなかなか許してもらえません。
ずっと座っておくことが苦手な人や、
思考を言葉に変換するのが苦手な人もなかなか理解されません。
教師が「できる・できない」を自分の基準だけで判断し、
さらにできないことを許さない空気感を作ることで、
できない人をどんどん追い込んでしまいます。
じゃあ、教師として発達障害とされる人たちとどう関わるか?
僕の場合は山崎まさよしの「セロリ」風に考えてみるようになって、
かなり気が楽になりました。
夏がダメだったり、セロリが好きだったりするけど、、、、
がんばってみるよ。やれるだけがんばってみてよ。
少しだけなんだかんだ言っても、つまりは単純に君のことを好きなのか?
できないことがたくさんあっても、愛される人はたくさんいます。
その人は、周りから愛されることによって幸せになっているのだから、
僕は周りの人間の一員として、頭ごなしに嫌いにならないことが、
今、自分ができる一番確実なことだと思うようになりました。
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