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上田紀行『生きる意味』より [本から]

自分の考えていたことが、そのまま文章になっている感じです。
非常に共感できます。

 自然の生態系のように、様々な植物種がひとところに共存していれば、日当たりや湿度などの環境が変わったり、病害虫が発生してある植物が失われても森は失われない。しかし、商品としての木材を効率的に生産するために、ある植物種のみを人工的に植林し、他の植物を排除してしまえば、何の問題もないときには高収量だが、環境の変化や病虫害が起これば、ひとたまりもなく全滅し、森は失われてしまう。単一品種の森のほうが一見整っていて美しいが、それはとてつもなく弱い構造を持っているのである。  多感な時期の若者を学校の成績のみに縛りつけ、それ以外のことを抑圧すれば、森と同じことが起こる。


人物多様性の社会作り、これから一部の人たちは同じことに気づいていくと思います。




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『有機的建築』から『有機的教育』へ [本から]

建築家フランク・ロイド・ライトの『有機的建築』とても面白かったです。

建築のことよりも、彼の建築哲学が書かれてありました。
戦前の話なのに全く古くなっていない、普遍の建築哲学です。

フランク・ロイド・ライトの哲学は岡倉天心や老子など、東洋の思想とつながっています。
自然を支配するのではなく、自然をリスペクトしつつ建築を行った偉大な西洋の建築家ともいえます。


彼のコンセプトを、訳者(三輪直美さん)のあとがきから引用すると、
一.有機的建築は、風土や敷地環境から生じてくる。 二.有機的建築は、完一性、緊密な統一感、全体性を有している。 三.有機的建築は、外から当てはめたり応用されたりするものでなくそのものの内部から生成してくるもの、内発的なものである。 四.有機的建築は、変化を受け入れ、成長していく


このコンセプトこそ、今の教育に必要じゃないのかと思えます。
「建築」の部分を「教育」に変えるだけで、今まで自分が探してきた言葉たちが見つかった気持ちになりました。

一.有機的教育は、風土や敷地環境から生じてくる。
二.有機的教育は、完一性、緊密な統一感、全体性を有している。
三.有機的教育は、外から当てはめたり応用されたりするものでなくそのものの内部から生成してくるもの、内発的なものである。
四.有機的教育は、変化を受け入れ、成長していく


有機的教育(organic education) と 自然な学校 (natural school)

この二つの言葉は、これからの自分の教育哲学になりそうな気がします。




「建築とは生きることそのもの」(フランク・ロイド・ライト)



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人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。(老子) [本から]

人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。(老子「戒強七十六」)  ここは「生命力にあふれた赤ん坊は柔軟性に富んでいる。死に近づけば近づくほど、人はかたくなる」というような意味です。まだ若いのに頭がかたいというのは、頭が死んでいると考えてもいいでしょう。(田口佳史『老子の無言』)



自分の経験上、人間的に素晴らしいなと思う人ほど、謙虚であるように思えます。


「しっかりしている」とされる人ほど、自分の価値観や世界観からなかなか離れることができません。
そして「しっかりしている」の先には、かならず「頑固」が存在します。
固いということは、そこで固定することになります。
もし固定するところを間違ってしまえば、後からの修正は苦労をします。


逆に、柔らかくあることは伸びしろをもたらすことでもあります。
現状に対して常に修正や成長の余地があることになります。
固定しない分、成長の可能性は無限大です。


年齢や自信、実績を積み重ねながら、尚且つ柔軟であり続ける。


この簡単なようで難しい状態の自分を維持していくための上手い方法が
何事に対しても謙虚であり続けることなのだと思いました。






田口佳史
光文社
発売日:2011-01-20


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『ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない』 [本から]

人間それぞれで【できること・できないこと】が違います。

「そんなこと、あたりまえじゃん」と頭では思っていても、実際に理解してあげることは、簡単ではありません。



「泳げない」「英語が話せない」「そばが食べられない」「絵を上手くかけない」などは比較的、周囲の人たちに許さる『できないこと』です。


「自転車に乗れない」「甘いものが苦手」「エビやカニが苦手」「お酒が飲めない」などは、ちょっと信じてもらえなかったり、飲み会でちょっと場を気まずくしたりします。それでもなんとか許容してもらえる範囲です。


けれど、「字がかけない」「思ったことを言葉にするのが苦手」「目を見て話すのが苦手」「音が苦手」「多人数が苦手」「じっとしておくのが苦手」などは、なかなか許してもらえません。

特に学校など、皆が同じことをしなければならない時などは、なかなか許してはもらえません。



本人にとって『できないこと』も、それを当たり前にできる人にとっては、「なぜできないのか?」を理解する前に、「こいつは言われたことをやらない」という不快感を覚え、不快な感情は怒りとなり、できない人に「なぜ、できないの!!」と責めることで、人間関係を悪化させたりしてしまいます。


今回の本は、そんな『できないこと』で困っている人の気持ちをよく表した優れたタイトルです。内容も、発達障害の子の理解の仕方、支援の仕方などが事例を通じて具体的に書いてあります。



発達障害に詳しくない人でも充分に理解しやすい本です。

まずはタイトルの『ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない』の言葉を心のどこかに留めておくだけでも、よりよい人間関係の構築ができるんじゃないかと思います。





ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない―発達障害(LD、ADHD、アスペルガー症候群)の読み書き困難
ぼく、字が書けない だけど、さぼってなんかいない―発達障害(LD、ADHD、アスペルガー症候群)の読み書き困難
タグ:発達障害
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非常識の延長線上にしか世界一はない[松平康隆氏] [本から]

先日、日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆氏がお亡くなりになりました。
時間差攻撃や、フライングレシーブなど新しい技術を産み出す一方、
現在の日本バレーボールの土台をプロデュースされた方です。
その松平さんがテレビの映像の中でこんなことを言われていました。

「非常識の延長線上にしか世界一はない」


今ちょうど読んでいる本と僕の中でつながるところがあり、
深い言葉だと思います。


【今読んでいる本】
ギフテッドー天才の育て方 (学研のヒューマンケアブックス)
ギフテッドー天才の育て方 (学研のヒューマンケアブックス)

この本では発達障害の方などの偏りのある認知の仕方などを、
天才(俊才や英才)と捉えてあります。
非常識と受け取られがちの天才ぶりがか書かれてあります。


世界一になることと、天才になること。


どちらも普通の人には簡単にふみこめない領域です。
そう考えると、非常識の先について少しだけ、なにかみえそうな気がしてきます。



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雑談しない権利だってある [本から]

「でも、雑談しない権利だってある。『アスペルガーは社会性がない。ないものは補わないといけない。ないスキルは教え込む』という前提が支援者にはある、それがおかしいんだよ。ないものはね、周囲が理解して補えばいいんであってね。足の不自由な人に『歩けなかったら歩け』とは言わないで、車椅子を用意するのと同じ。なのに、無理させるから、帰って引きこもっちゃうことになりがち」
精神科医 内山登紀夫

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『 アスペルガー当事者が語る特別支援教育―スロー・ランナーのすすめ』 [本から]


高森 明さんの『アスペルガー当事者が語る特別支援教育―スロー・ランナーのすすめ』が、かなりおもしろいです。この本は、アスペルガーとはなにか?とか、発達障がいとは何かとかはあまり詳しく書いてありません。それよりも、当事者がどのように扱われながら生きてきて、どのように考えながら生きてきたのかがありのままに書いてあります。そういう意味で発達に障害があるとされる人のことを、深く理解できる本だと思います。

文章も読みやすく、本を読みながら自分はどのように支援するのかを考えさせられます。

もちろん支援のあり方には絶対的な答えや、やり方はないと思いますので、
この本から自分のできる支援のあり方の可能性を広げたいと思います。




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多様性 [本から]

社会学者の上野千鶴子さんは、『私ならこう変える20年後からの教育改革』(ほんの木)の中において、多様性を「ノイズの発生装置」とした上で、このように述べていました。


これからの社会に生きていく子ども達のために、親としてできることは、多様性の経験を積極的に与えてあげることにつきると思います。親や教師の役目は、子どものセキュリティを確保した上で、意図的にそういう場を作り、そこに子どもを放り出してやることです。しかしながら、多様性のハンドリングをできない親や教師は、自分がまず不安を感じます。自分が不安だから、できるだけ子どもの周辺でノイズの発生を抑えるわけです。



環境教育の分野において「生物多様性」という言葉は、近年のトレンドです。そこから人間も生物の一つとして捉えると、個性が強い人、弱い人、学校や組織の環境に順応できる人、できない人、意思の疎通を言葉で表現ができる人、苦手な人など様々な人間でこの社会を構成していることがわかります。これからは様々な人間を「人物多様性」として受け入れ、さらに多様な人間がそれぞれ快適に暮らして生きていくためには、都市部の生活だけにこだわらない多様な生活環境が必要になってくると思われます。







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